ポスト喪男の杞憂

女の子にモテたいっつってんの

三日坊主って何を供養すんの

ど~も~ぼくで~す!ぼくで~す!1人合わせてぼくで~す!ってメモ帳に書いてる人間の気持ちって分かる?僕はさっき分かったよ。思ってたよりも、いや、思ってなかったけどやっぱり虚空だよ。

 

そんなことは置いといて、誰でもすなるブログといふものを、自分もしてみむとてするなり。日本で最初のネカマは言った。僕は男だけれども。唐突だけどブログというものをやろうかと思う。続くか続かないかは僕の筆加減ですが、僕の暇つぶしに書いたもので誰かの暇をつぶせたのならば幸いです。

 

突然だけど関西弁っていいよね…めちゃくちゃキャッチャーだし、ニュアンスを伝えるのに適していて、テンポも取りやすいし、とても会話に適している方言だと思う。あと関西弁を話す女の子ってめちゃくちゃ可愛いよね。僕が可愛い関西弁の女の子を想像しているからだけれども、関西弁を話す女の子は可愛い。ありがとう関西弁。ただ、書いて伝える時には少し使いづらいけれども、それは方言全般に言えることだからまぁやむなしだね。やむなし。やむなし和也。

 

一応言っておくけれども、ここでの関西弁は特にココの地域!って限定した関西弁じゃなく、なんとなくの概念化した関西弁ということにしておくよ。そういう方面に持っていくと俚言がどうこうとか、いやあそこの地域は関西弁じゃないとか横道に逸れてしまって疲れるからね。読者の方で適当に理解してくれたらと思います。

 

まぁ関西弁の話は置いといて、今日僕が書こうと思っていることは情報化社会での姿勢についてです。メディアリテラシーとかいうヤツは横文字めんどくさいので、今日は縦文字で書いていきます。インターネットにどこでもいつでも誰とでもつながる情報化社会が高度に進んだ昨今、情報量の多さに疲れている人たちも多いと思う。

 

そういう情報量の多さに疲れそうな人たちに対して、なんとなく助けになればと思いながら書いております。「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」と、ひろゆき氏がかつて言っていたことに集約されているんだけれども、インターネットの情報だけで真偽を見定めることはほぼ不可能で、自分がその情報が嘘かどうか見極める力がないと、やはり適切に使うことは難しい。情報に振り回されてしまう。自覚があればいいんだけれども、自覚がない人がかなり厄介で、自分が正しいと思っていて出来れば近寄りたくないある種の熱狂を帯びていることが多い。

 

そんで、今から大事なことを書くんだけれども、インターネット上のある情報に対する疑う姿勢として求められるのは「ホンマか?」であって「嘘やろ!」ではないということです。なんとなくのニュアンス伝わりましたか?めちゃくちゃ便利ですね、関西弁。

 

少し補足すると、多分みなさんはある程度情報の選択は無意識のうちに出来ているんですよ。インターネット上の目に見えている情報全てをいちいち疑う必要はなくて、気になって自分が必要な情報の真偽を見分ければいい訳です。これは、新聞を読む人が端から端まで全部読むのではなく、自分が読みたいところを読んでいるところを想像していただければ分かりやすいかと思います。

 

それで自分が必要な情報の真偽を見分ける時に「嘘やろ!」と全く信じないのはあまりにお粗末すぎます。一部本当のことが書かれている可能性もあるし、もしかしたら全部本当のことかもしれない。「疑う」というどっちつかずな立場になるべき時に既にどちらかについてしまうと一方の立場からの情報しか信じられなくなります。

 

一方「ホンマか?」という言葉、情報を少し受け入れつつも疑念の余地を残しているニュアンスを感じませんか?僕は更にその後にその情報が本当か自分で調べているところまでなんとなく想像がつきます。情報をそのまま一方的に受け入れるのではなく、自分で調べてみて判断しましょう。勿論、判断する立場は中立でなければいけません。

 

自分で書いててうわ、普通!ってなってるけど、情報を疑う時に「ホンマか?」って少しでも思ってくれたら幸いです。