ポスト喪男の杞憂

女の子にモテたいっつってんの

普通に恋人ができるって何さ。

恋は盲目になるらしい。恋愛は盲目、とは聞いたことがないのでおそらく「恋」こそが盲目の性質を孕んでいるのだろう。おそらくだが、恋とは恋愛における引っかかりの部分で、恋愛モードのスイッチを入れる仕組みなんだと思う。スイッチを入れた後に適切な愛のフォローがないと恋愛にならず、恋は盲目だった、とオチがつくワケだ。まぁ世の中にはスイッチを入れるのだけはうまい輩というのが居て、それに引っかかった人については恋は盲目以前にもうちょっと人を見る目を養ってほしいものだけどもね。

 

まぁここで恋と愛と恋愛の定義を決めることはしないで、読者で適当に決めてくれたらいいと思う。僕も何となくで書くから、何となく読んでほしい。疲れちゃうから。

 

世の中の恋愛をしている人たちなんかを見ると、何でも特別なことのように感じているが、他人から見れば普通のことしか起きていないということが多い気がする。恋人たちに訪れる不幸な結末も、周りからすればなんとなく推察できていたが、近ければ気を遣い、遠ければ関係ないと口には出していなかっただけだと思うよ。わざわざ馬に轢かれにいくような物好きも居ないしね。これは盲目ではなく、なんとなく酔っている感覚に近い気がする。もちろん醒めない酔いはないように、その恋愛の酔いもいつかは醒めてしまう。

 

ただ、盲目になったからと言って全部ダメということはなくて、今後良好な関係を築いていくためには最初は盲目くらいでちょうどいいと思う。導入で恋愛のスイッチを入れておかないとメリハリがなくなるためだ。それと酔うこともメリハリをつけるために大事なことだけれど、悪い酔い方をすると醒めた時が大変になるってだけだ。

 

続きそうなカップルというのは、相手の好きなところを聞いた反応で分かる。「ココとココとココ!」と相手の好きなところを限定して即答するカップルは基本的に長続きしない。何故なら限定してスグに挙げたところは恋人の明確な判断基準になっていて、現時点での恋人じゃないとダメな理由にはならないからだ。もし仮にその基準に更に合致する異性が現れた場合、今の彼氏と付き合い続けるだろうか、付き合い続けたとして付き合う理由が惰性にならないか、どうも疑わしい。

 

逆に「よく分からないけどなんとなく好き」と答えるカップルの方が長続きする。具体性を欠くことで、言葉に出来ない現在の恋人にしかない魅力に惹かれていることを示しているからだ。

 

上記の現象については、好きと嫌いの性質に起因すると僕は考える。好きの性質は面で拡散的であるのに対して、嫌いの性質は点で収束的である。好きは様々な「好き」を飲み込んでいって最終的にぼんやりと「言い尽くせないけど全部好き」となり、嫌いは様々な「嫌い」が独立しハッキリと「ココが嫌い」となる。これは、飲み会の席などで評判がいい人の話題などは「いい人だよね」の一言で終わるのに対し、評判がわるい人なんかは「あの人はこういうことをしていたし、ココが悪い」という話題が続いていくことを想像すれば分かりやすいと思う。嫌いという性質は具体的でハッキリと形を持っていて分かりやすいので共有できる話題として盛り上がるワケだ。

 

では好きならば具体的なハッキリとした話ができないかと言われるとそうでもなくて、抽象的な好きの中から具体的な好きな部分を掘り起こす作業をすれば可能となる。ただ、その場合は相手もある程度興味を持っていないと盛り上がりに欠けてしまうけどね。お互いが興味を持った好きを掘り起こして話すと、具体的な好きを掘り起こす効率が単純に2倍になるからそういう意味ではとても楽しいし、嫌いで盛り上がるよりは精神的に健全な気がする。

 

つまり、恋人の好きなところを限定して即答できるというのは、恋人の判断基準を提示しているか、ちゃんと具体的な好きな部分を掘り起こしているかのどちらかなのだ。恋人の判断基準は嫌いに裏返る可能性も孕んでいて、好きなところだった「優しい」も「優しすぎ」に裏返ったりすることもある。また、好きだったところがより基準に沿う恋人へ乗り換えられる理由になってしまう皮肉な結果になってしまうこともあるのだ。あくまで判断基準なので好きの理由としては脆く、現時点で基準に一番近い人というだけである。

 

だから、私見ではあるが恋愛に関しては最初は盲目でもいいので「よく分からないけど好き」というスタンスで、酔いから少し醒めたしまった時に冷静な目で抽象的だった好きの中から具体的な好きを掘り起こす作業をすることがベストであると思う。その掘り起こす作業中に相手の嫌いな部分を見つけてしまうかもしれないけれど、全体としては好きな部分の方が強いからよく分からないけど好きとなっていることは覚えていてほしい。 


世の中の人は「普通に恋人は出来る」と言い、普通に恋人をつくり、普通の恋愛をして、それで恋愛のことが分かった気がしているように振る舞い、経験から恋愛を語る。だが、恋愛について、恋愛自体について、人の好き嫌いについて、考えている人は多くないように思う。確かに世の中には様々な恋愛の形態が存在していて、ひとつとして全く同じ恋愛はないので、恋愛や好き嫌いについて別に考えなくてもいいのかもしれない。だが、僕が思うに、世の中に存在する多くの恋愛はどれも大きく変わっていなくて、その相手じゃないといけない理由もなくて、ただ同じような仕掛けがあるようにしか思えないのだ。