ポスト喪男の杞憂

女の子にモテたいっつってんの

2017日目のTwitter

光陰矢のごとし。2017年がスタートしたと思ったら明日からもう3月になるらしい。恐ろしくて震えちまうね。

 

面白い偶然で「うーみの喪クズ」というTwitterのアカウントは今日で2017日目になるらしい。この約5年6ヶ月という月日をTwitterに費やして、節目っぽい今日になんとなくこれまでのツイ人生を振り返ってみようと思う。

 

基本的に日常を切り取ったネタツイートや思ったことをただ流すアカウントで、中の人のアレコレなどは特に興味ないだろうけれども暇つぶしにでも読んでくれると嬉しい。

 

このアカウントは大学生時代に入院中で暇だったことから始まった。当時はリアルアカウントしか持ってなかったんだけど、音楽とか本とかそれ以外の趣味のことをツイートして同じような趣味の友達をつくりたいと思って作成したアカウントだったんだ。

 

ただ特にフォローしたい相手が居なかったのでたまたま2chで見かけた「お互いフォローしあおうぜ」みたいなスレから何人かフォローしてしばらく日常のツイートなどをしていた。遠くの知らない誰かの日常を覗くのは楽しかったけれども、本や音楽やその他の趣味の話をしても特に反応がないし次第に飽きてきた。

 

よく考えてみたらネット上の他人に興味ないし反応がないのが普通である。僕がイケメンや美少女とかだったら話は違っただろうけれども、平々凡々で特にネタにするような容姿でもなかった。残念ながら。

 

そこからぼんやりと「興味のない他人の日常ツイート見ても面白くないよな」と考え、どうせなら面白いツイートを見てもらおうと思って色々試したけど思ったことや身の周りであった面白いことを1日に数回ツイートして終わる今のスタイルに落ち着き、気が付けば誰とも絡まずネットの海を漂うキャラがないbotのような概念に成り果ててしまった。

 

孤独は苦にならないし、ツイピエロになるってのもまぁ別に悪くない。ネットの海で海月みたいに概念化してプカプカするのは当初の目的とは外れてるけど満足している。元々人間的な魅力がある訳ではないし、虚空とも仲が良いからまぁ落ち着くところに落ち着いた感じがするのだ。

 

そんなこんなで虚空なアカウントで絡みがないのにおかしな話だけれど、いつもふぁぼしてくれる人とかフォローしてTL上に居る人に僕はぼんやりと親しみを感じていて、ふと見た時にツイートの更新が止まっていたりアカウントが消されていたりするとひどく悲しくなるんだ。様々な理由があるんだろうし、それを僕がどうこう言う権利は何もないんだけどやはり悲しい。

 

多分生きているだろうから、いつか僕のことをふと思い出してTwitterで見つけて「相変わらず同じようなツイートしてるな」って少しでも笑ってくれたらいいかな。

 

多分Twitterを止める時はぼんやりとした感じで止めると思う。将来に対する漠然とした不安のような、ふと踏み出すような感覚だと思う。その時が来るまで、僕はもう少しツイピエロを続けたいと思う。