ポスト喪男の杞憂

女の子にモテたいっつってんの

経験至上主義とか疲れませんか。

まぁ三日坊主でもダラダラ続ければいいかと思ったらいつの間にか前回のブログより三十日経っていたらしく、とんだ生臭坊主だと我ながら呆れるなど。お盆休みをずらして6日間東京に滞在しつつ遊んだことを除けば特筆すべきこともなく、たまに来る台風の対応などをしてれば気付けば夏も終わっていた。サイコーの夏isどこ。

 

今回はリハビリも兼ねて軽めの思ったことなどを書きたいと思う。

 

僕はまぁ特徴もなければコレと言った才能もなく日々をダラダラと過ごすのみの生きながらにして死んでいるような普通の大人だと思っているけれど、それでも時々世間とズレを感じることがあって、この前感じたのは「経験の数を重視する」ってところなんですよね。分かりやすい例を挙げれば、恋愛に関して今までの恋人の数や経験人数をそのまままの戦闘力に変換して高い方が偉い、みたいな風潮があるように思えてならない。

 

百歩譲って多種多様な人と恋愛関係になることにより、異性、ひいては人間に対しての鑑識眼や理解力、対応力の向上につながるとしよう。ただ、僕が見る限りでは残念ながら多種多様な人と恋愛関係になる人はほんの一握りで、大抵の人は同じような種類の人と何度も恋愛関係になっているだけである。つまり、多くの恋愛に関して得られるものは大体同じような経験のみで、特定の種類の異性に対する鑑識眼や理解力、対応力であってそれを全部の恋愛にそっくりそのまま当てはめることは到底無理な話だ。

 

恋愛に関して言えば、世間の人は恋愛を経験すると、面白いことに自分の経験で全てを語ろうとする。「経験は質と数どちらも兼ね備えてこそ価値があり、質の低いものを数多く経験するのはただの徒労であり、要領の悪さを露呈させているに過ぎない」と思うけど、世間の恋愛に関しての考えは今までの恋人の数や経験人数をそのままま戦闘力に変換して高い方が勝ちで価値があるらしい。

 

恋愛以外にも僕は失敗とかの経験しなくてもよさそうな経験はしなくてもいいと思っているんだけど、世間では失敗の経験を多く積んだ方がいい、みたいな謎の美徳がある気がしてならない。

 

経験至上主義に侵された謎の美徳感は本当に気持ち悪くて、失敗しても「失敗の経験を得られた」なんて貧乏くさい評価で励まそうとする。もちろん理論上は上手くいっても、実際にやってみると思わぬイレギュラーによって失敗したり、対応しなければいけない状況が出てくるとは思うが、やらなくても分かるような失敗に飛び込むことは正直に申すと頭が悪いとしかいいようがないと思う。

 

まぁ上記のような経験至上主義に染まっていない同志諸君も居ることは想像できるが、依然として厳しい戦況に立たされていることには変わりない。