ポスト喪男の杞憂

女の子にモテたいっつってんの

何か自分の趣味に対する唯ぼんやりした不安である。

みなさん、夏はどうお過ごしですか?僕は実家で部屋のエアコンが全然効かないうえに風通しがよくない畳の部屋なので、廊下で寝てます。フローリングだからペタっとすると冷たいし、めちゃくちゃ風通しがよいのです。廊下は神。

 

最近趣味のものを本当に使いそうなものだけ残してさっぱと売り払っている。
仕事によって割ける時間が減ってしまったとか、飽きたとか、別の趣味にお金を使うとか、いろいろな動機が考えられるが、まぁタイトルが一番の動機だと思う。

 

「ソシャゲはサービスが終了したら何も残らない」って言うけどさ、僕からしたらとてもありがたいことだよ。思うに、蒐集の要素がある趣味を止める時に物が残ると未練も残る、後悔も残る、楽しかった思い出も残る。実は一番後者がキツイ訳なんだけどもここは割愛するよ。まぁ執着してしまう訳だ。

 

執着を断ち切るには人に譲るか、売るか、或いは全部えいやと捨ててしまうかの3つなんだけども、どれも中々難しいワケですよ。ある種の「欲」が出てきてしまうんです。人間だもの。そもそも執着を簡単に断てる人は蒐集なんかしないですよ。

 

だから、まぁソシャゲなんかはある意味では優しいと僕なんかは思いますね。

 

その中でも僕は「売る」という選択肢を取りました。完全に止める訳ではないけども少しずつ減らそうと思って。もうちょっと続けたいし、趣味によってできた交友関係もあるわけだしね。人づきあいが不得手な僕にとっては貴重な交友関係です。もっとも、趣味を止めたからといって途切れる関係ではないけれども。あと「譲る」って行為は意外と悪手で、譲られた側に責任を押し付けるようなものなんだ。人から好意でもらったものを平然と捨てたり売ったりする人に譲りたくないというのもあるし、それらが出来ないような善人に譲ってもそれらが出来ない故の葛藤で苦しめてしまうし。

 

「捨てる」ことはとても惜しく感じてしまうからやっぱり「売る」選択肢が最良だと考えたんだ。売った場合は買ってくれた人が「自分がお金出して買ったもの」ってことで自由に扱えるしね。そっちの方が気楽でいいと思う。

 

それで話を戻すと言っても僕が言いたいことは完全にタイトルの通りで、少しずつ趣味から足を洗おうってことです。手を染めて足を洗うなら頭はいつ洗うのかなと少し考えるよね。

 

少しばかり自分の話をすると、僕は特に趣味と言えるようなものはない。アニメもゲームも漫画も小説もそれなりに好きだし、サーフィンもする。最近はお父さんと一緒にスノボデビューした。雪国生まれ雪国育ちなのに初めてのウィンタースポーツさ。絵を書いたりするのも良いし、音楽を聴くのも良い、登山なんかも楽しいね。小学校から10年くらいバスケをやってまぁまぁ誇れる成績も残せた。ただ、色々やっている中で一番リソースを費やしたのが今やっている趣味だった。

 

理由は特にないけど、多分話していて気楽な人が多かったんだと思う。世の中に馴染めない人、馴染めるんだけど疲れてしまう人、そんな人が多かった。僕もどちらかというとそっち側の人間だったから、気取る必要も、媚びる必要も、カッコつける必要も、なかった。恋愛につながることもなかったので、とても気が楽だった。古びた地下のゲームセンターの格ゲーの椅子に座り、タバコとホコリの混じった臭いを吸って少し落ち着くような、そんな感じだった。人は心身の状態によって落ち着くポイントが違って、明るくて綺麗なところが落ち着くのも勿論そうなんだけど、体調が悪い時なんかはその明るさや綺麗さがかえってうるさかったりするように、少し薄暗くて静かな和室にひっそりと寝ていたくなるように、僕は世の中に少し馴染めない人や場所を探していたんだと思う。


あとね、いつからかは忘れてしまったんだけども「一番長くやっているからこの趣味をやっている」という最高に皮肉な理由で趣味を続けていることに気付いたんだ。最初は好きでやってたのにね。今でも好きだけれども、このことに気付いてから、なんとなく疑問に思っちゃうんだよね。好きなのかってさ。一番長くやっているという理由が少しずつ趣味をする理由の大部分を占めてきて、自分の趣味に対する唯ぼんやりとした不安に繋がっていると僕は考えている。

 

誰もまだ趣味を止める人の心理をありのままに書いたものはない。僕は読んでくれる人に送るグダグダで拙いの日記の中に、はっきりこの心理を伝えたいと思う。趣味をやっている人はTwitterなどに結婚とか、飽きとか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの趣味を止める動機を発見するであろう。しかし僕の考えによれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示しているだけである。少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の趣味に対する唯ぼんやりした不安である。